ちょっと前までの私は、友達が「彼氏が週2回の頻度で泊まりにきている」などと言おうものなら、「ちょっとあんたそれ彼氏に依存しすぎてるんじゃないの~? 泊まりってことは、実質、週に4回会ってるってことになるんだよ! 週の半分以上も一緒にいるって、それ彼氏依存だよ!」と、鬼の首をとったかのように攻撃していました。
「私は月に1回、もしくは会わないときもある。でもその位がちょうどいい」なんて言って、悦に浸っていました。依存しないワタシ、カッコイイ、みたいな。
でも考えてみたのですが、依存というのは、「会う頻度」の問題ではない。
月に1回しか会っていなくても、残りの29日、30日を彼の事ばかり考えて生きていたら、それは立派な依存だし、逆にたとえ同棲なんかしていたって、お互いまったく干渉をしなければ、それは依存しているとは言えなさそう。
依存は、決して距離や時間の問題ではないみたいです。たぶん、心持ちの問題。
ここで話は少し変わりますが、昨今、自立した女性は素晴らしい、という風潮があります。
いつまでも腰かけOLのようなことをして、グダグダと婚活に勤しんでいる女性や、ダラダラ家事をする主婦を、さもイケていない女性かのように見て「彼女たちは寄生することしか考えていない……」などと叩き、一方、自分にしかできないことを仕事にして、独身であっても胸を張って生きている女性のことを「カッコイイ!」「憧れちゃう」などと称賛する風潮。
だからこの『LiFe』においても、そういう自立した女性にばかり焦点を集めて記事を書いたり、インタビューを行ったり。かくいう私もそれをやってきました。
たしかに、自立して生きる女性はかっこよく見える。でも反対に「依存する生き方って、そんなにダメなことだったんだっけ?」と思うことがあります。
依存を全く必要としなくなったとき、人は他者を介入しなくても生きていけるようになる。それを「自立できてる女性、かっこいい!」というのかもしれないけど、そうなると結婚も恋愛も意味が薄くなる。
ある男性が私にこう言いました。
「俺は彼女と別れても、悲しくはない。でも彼女がいれば、ひとりでいるより楽しいから、付き合っているんだ」と。
確かにそれは理想だけど、いなくなっても悲しくない人と付き合っていて、何か得られるものはあるのかなあとも思います。失った時の喪失感の大きさこそが、イコールあなたが得てきたものの大きさなのに、と私は思うのですが……。
人は人といる限り、少なからず相手から何かを吸収しようとする。それが好きな相手であればあるほどに。そうして自分の中に入ってきた相手の一部を受け入れ、調和して生きていく。
言い方を柔らかくしましたが、その調和こそが依存と置き換えられそう。
自分の中で受け入れ、解けていったものは、自分の一部となり、そう簡単には引きはがすことができない。だから失ったときは自分の一部がもぎとられたような気がして、苦しくて悲しくなる。
「ああ、私こんなに依存してたんだな」と思う。でもそれはきっと、悪いことではない。
依存しがちな女性を、鬼の首をとったかのように叩く風潮。依存を恐れて、言いたいことも何も言えない関係になっていませんか?
「あなたがいないと私の世界は暗くなる」と思うことは、そこまでおかしな話ではないと思うのです。このようにして私たちは、支え合いと依存のはざまに揺られて、うまくやりくりして生きていくのです。
Photo by pasotraspaso
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